今日の三菱グルーブの基礎を築いた優れた学才で政治だけの変革でない「もう一つの明治維新」を成し遂げた偉人


岩崎彌太郎 生家 記念碑


■岩崎彌太郎 生家 記念碑
昭和38年2月、三菱グループ各社の協賛により建立されました。
記念碑の刻文は、「大漢和辞典」の編纂で有名な諸橋轍次博士によるものです。
「岩崎彌太郎生誕之地」 背面碑文の説明
ここは、岩崎彌太郎が生まれたところです。彌太郎は天保5年12月11日、父彌次郎の長男として生まれました。幼少の時は、母美和の教えを受け、成長してからは、土佐藩の参政吉田東洋の導きを得ました。弥太郎に人にすぐれて強い気性でしたが、時に応じて細かいところにも心を配り、遂に近代の一傑人として明治18年2月7日その生涯を終えました。彌太郎は、九十九商会を創設し、台湾出兵や西南の役で政府の軍事輸送を行い、外国汽船との競争にも打ち勝ち、海運業を発展させて、三菱グループの基礎を築きました。弟彌之助や長男久彌も同じくここに生まれした。共に二代、三代の社長としてその発展につくしました。つまり、ここは三菱発祥の地であり、またわが国近代産業開発の記念すべき地でもあります。ここは土佐の片田舎に過ぎませんが、はるか南に太平洋を望み、彌太郎の太志がしのばれます。茅葺き屋根の生家と樹木は昔のままで、庭に置かれている石組みは、日本列島をかたちどり、彌太郎が世界にはばたく夢を表したものといわれます。先人の偉業をたたえるのは、後に続く者の務めです。私たちはここに碑を建て業績を記し、遺跡を保存して永く後世に伝えることとしました。
三菱系諸社同人建 文学博士 諸橋轍次撰並書と書かれた説明板があります。



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