□弓削神社 ■祭神 第46代 孝謙天皇 (女帝) 側 社藤子姫 今より凡そ760年前の元仁の頃第86代後堀天皇の御代と古老より代々云い伝えがある。天正10年島津義弘が御船の甲斐宗雲を攻せんせし時、その配下の新納武蔵忠元の軍勢に社殿を荒らされ、神宝宝物悉く失い、有住、有任の両名、漸し御体を奉持して難をさけたといわれる。その後、明治45年に不慮の火災に遭い残された神宝宝物の一部と神宮の記録一切焼失したこのため大正2年現社殿が築造された。 ■陽形物奉納の起因と由来 弓削は古代弓削部の置かれた処で伝説によるとその昔、この里に藤子と云う沃艶華麗な姫が住んでいました。 ある日朝廷を追われた法王(弓削の道鏡法師)出身地の弓削部を尋ねて偶然、藤子姫を見染め遂に深い契りを結んだのでした。 それからというものは藤子姫の献身的なもてなしと交合よろしきを得て、さすがの大淫蕩をもって知られる道鏡法師も以来よき夫となり、この里に安穏の日々をおくったということである。 この陰陽相整うということが即ち万物育生豊作を意味し、村人が藤子様と畏れ崇めまつるのも亦
由緒さきことでありません。 性器を崇拝し天地陰陽の相性によって農作物の豊穣を祈願したという古代民族の信仰のありかたを想像すると豊作の祈願のために奉納したものと思われる。 要は夫婦和合一家団欒を願い子孫の繁昌を祈るあまり崇められるようになったと思考される。 ■御霊験 古来弓削神宮は五穀豊穣、家業繁栄の神として崇められ豊作を祈る夫婦円満、子孫繁栄を願ったものですが、特に陰陽茎の弱筋、子宝に恵まれない人、縁遠き男女、下の病に悩む人、夫婦間の不和、浮気封じの問題解決等多くの霊験があります。 それが祈願成就の陰陽形物奉納となっています。これらの祈願ほ持つ参詣者も数多く毎日香華の絶えることはありません。 弓削神宮奉賛会と説明板に書かれています。
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