■「紫電二十一型」 紫電改 この紫電改は、南宇和郡城辺町久良、長崎鼻約200mの海底、41mのところに眠っていたが、昭和53年11月城辺マリンクラブ会員によって確認された。 愛媛県は、機体を引き揚げ、慰霊の誠を奉げ、恒久平和を祈念することとした。 紫電改は、当時最も優れた局地戦闘機「紫電二十一型」で、その全容は、 全長 9.34m 主翼 11.99m 高さ 3.9m 装備重量 4.86トン 時速 620キロメートル エンジン 2千馬力 20ミリ機関銃四門 以後第二次世界大戦にかけて、多くの航空隊が駐屯し、厳しい訓練に明け暮れたが、その間訓練中の事故により、また終戦直前アメリカ艦載機の空爆により多くの犠牲者を出すこととなった。20年8月15日終戦。翌21年、引揚者、復員者、戦災者が開拓者として入植し、戦後復興の第一歩を踏み出した。26年、この地に戦前から眠る無縁仏の慰霊塔を建立し、供養してきた。また32年から戦時中少年飛行兵として若き日を過ごされた方々の亡き戦友を思う情熱にうたれ、無縁仏と戦没者の霊を合祀し、慰霊祭を行っている。 戦後60年、今もなお残る戦いの爪痕を目の当りにし、壮絶な大戦を偲ぶ時、誠に感慨無量なものがある。我々は郷土泗水にこういう大戦に関わる戦場があったことを認識し、戦争の悲惨さ、虚しさ、愚かさを二度と起こさないことを肝に銘じて、ここに案内板を設置し、長く後世に伝えるものである。平成17年3月 と記載された案内板が高架水槽脇に設置されています。
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