■さみだれ つゆに入っても、はかばかしく降らなかった雨か、日曜を見込んだように、ふり出しました。 づれづれを慰めるため開いた物語にもあきて、障子をあけて外を見ました。うす墨いろの空はいつ青い色がみえようとも思われません。番がさや蛇の目が三つ四つ続いて通ったあとは、ひっそりとして軒のしずくの音だけが時々きこえます。ふと下の方で「いやなお天気で。だも百姓衆は大喜びでしょう」という声がしました。 私はみのを着て笠をかぶって、雨にぬれながら田植えをしている人の姿を、心にうかべました。 その時目の前をつばめがすうと飛んでとらりの軒へはいりました。つばめでさえもかせいでいる。こう思うとぼんやりしているのがはずかしいようで、すぐに立ってゆい物を出しました。 ■井戸ばたで お母さまは、お洗濯、たらいの中をみてみたら、しゃぼんの泡にたくさんの、ちいさなお空が光ってて、ちいさな私がのぞいてる。 こんなに小さくなれるのよ、私は魔法つかいなの。 何かいいことして遊ぼ、つねべの縄に蜂がいる、私も蜂になってあすぼ。 ふっと、見えなくなったって、母さま、心配しないでね、ここの、この空飛ぶだけよ。 こんなに青い、青ぞらが、わたしの翅に触るのは、どんなに、どんなに、いい気持。 つかれりゃ、そこの石竹の、花にとまって密吸って、花のおはなしきいてるの。 ちいさな蜂にならなけりゃ、とても聞こえぬおはなしを、日暮れまででも、きいてるの。 なんだか蜂になったよう、なんだかお空をとんだよう、とても嬉しくなりました。 ■お風呂 母さまと一しょにはいるときや、私、お風呂がきらいなの。母さまは私をつかまえてお釜みたいにみがくから。 だけど一人でいるときゃ、私、お風呂が好きなのよ。 そこでする事、多いけど。なかで一ばん好きなのは、ぽかり浮かべた木のきれに、石鹸の函や、おしろいの、かけた小瓶を並べるの。 それはすてきな御馳走の、ならんだ黄金の卓子で、私は印度の王様で、白蓮紅蓮咲きみちた、きれいなお池に浸かってて、涼しいお夕飯あがるとこ。 玩具ほ持ってゆくことは、いつかお母さま、禁めたけど、時にゃ隣の花びらが、散ってお船になってくれ、時にゃ私の指たちが、魔法をつかって長くなる。 だれも知ってやしないけど、私、お風呂が好きなのよ。 ■わたしと小鳥とすずと (みすゞの小庭のプレートから) わたしが両手をひろげても、お空はちっともとべないが、とべる小鳥はわたしのように、地面をはやくは走れない。 わたしがからだをゆすっても、きれいな音はでないけど、ある鳴るすずめはわたしのように、たくさんなうたは知らないよ。 すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい。
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