嘉村磯多の作品にも祀られる神社が綴られています。


上ケ山の村社と嘉村磯多


■ 上ケ山の村社と嘉村磯多
上ケ山の村社に掲示されている嘉村磯多作「上ケ山」の里の額の文
再び國を去って足掛け七年の今、わが郷土を語ると題したとて、人事関係のことに就いてはは言いたくない。戀してとか、懐かしいとか、そんな言葉で假にも求めたくない。ただ、家には年寄りばかりで、部落の皆様に色々お世話になっていることをここでお禮を申し上げたい。
私の故郷、周防仁保村は、中國山脈の西の端の、山と山に囲まれた上け山といふ字が、私の眞の故郷である。生まれた土地、土地の五穀、そこには、深い深い愛着、永久に切って切れない縁である。人丸神社、薬師堂、家向うの霊神社の祠、祠の背戸山には白百合も咲く。そこの近くに墓地がある。私の兄や弟や妹が眠っていて、三つの地蔵さんが合掌してござる。わたしは都会で死にたくない。異郷の土にこの骨を埋めてはならない。それは私の衷心の願いである。あのお地蔵さんのそば埋める日を思うて、このこころ躍る。と書かれています。



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