■ 六和電燈敷設記念碑 六和電燈敷設記念碑は 千葉県松戸市から千葉県流山市に向かう流山街道と呼ばれる県道沿いの稲荷神社の境内にある記念碑です
地名は主水 読み方は 「もんと」 なにか 時代劇の必殺仕置き人の 中村主水 のような 感じて いつも 流山街道を車で通っていたときに なにかなと 思っていた交差点でした
六和とは 主水新田 七右衛門新田 大谷口新田など この碑が建てられた当時の6つの村を指します 碑の裏面には 大正12年4月 電灯がともった日や祝賀会のこと 費用の調達方法 電灯会社との取り決め かかわった方々の名前など電灯敷設の概要が記されています
千葉県松戸市の市の概要 104 「文化の灯 電灯がともる」 によると 当時の電灯の価格(電気料金)は 1か月の電気料金で1分の灯油が買えた時代と書かれています それでも 村人は 電気が来れば生活の改善に繋がる 電気が来れば農作業も楽になる 電線を引くための費用負担は大きかったが 六和が一致団結して電線を引いた その喜びが碑に書かれています 大正時代の電灯敷設記念碑 電灯は当時の人々にとって希望の光だったのだと思います ■ 行燈(あんどん)の時代昔の農家は行燈の灯りで夜なべ作業をしたといいます 米俵を編む作業は3月の彼岸のころまで 石油ランプの内側は煤が付き薄暗くなってしまう ランプの内側は狭く大人の手は入らないため火屋(ほや)磨きは子どもの仕事でした そんな生活を改善した 約90年前の電気に対する心意気を感じます
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