列車の設定は朝と夕に限られ 全日3本往復の駅です。本山支線の終着駅が長門本山駅です。

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2018' MAY 27 Message

長門本山駅は山口県山陽小野田市小野田にある西日本旅客鉄道小野田線支線:通称本山支線の終着駅です。列車の設定は朝と夕に限られ 全日3本往復の駅です。本山支線の終着駅が長門本山駅です。 駅舎長門本山駅は、道路の脇にポットとある駅、採炭の盛んな時代は多くの貨車が行き交う駅であったと偲ばれます。後に記述する炭鉱口まては約500mの距離にあります。 * ♪


+ + 採炭の時代に栄えたであろう長門本山駅 + +

■長門本山駅
長門本山駅は山口県山陽小野田市小野田にある西日本旅客鉄道小野田線支線:通称本山支線の終着駅です。列車の設定は朝と夕に限られ 全日3本往復の駅です。本山支線の終着駅が長門本山駅です。
駅舎長門本山駅は、道路の脇にポットとある駅、採炭の盛んな時代は多くの貨車が行き交う駅であったと偲ばれます。後に記述する炭鉱口まては約500mの距離にあります。
■旧本山炭鉱斜坑坑口までの鉄路の時代
本山地区の石炭の発見は江戸時代後期嘉永年間 (1848〜1852) に遡り、須恵村の藤島清兵衛が後の本山炭鉱沖四百メートル付近に石炭の露頭のあることを知り、小船を出して毎年夏の干潮時を利用して石炭の採取をしたという故事による。
明治20年宇部の渡辺祐策は本山炭鉱組合を設立以後、一の山炭鉱、本山炭鉱、大日本炭鉱、宇部砿業、宇部興産に引き継がれるが、地質が悪くガスをともなう出水などの事故により、97名の尊い命が失われた。
この坑口は、大正6年大日本炭鉱が主要運搬坑道として設け昭和16年まで宇部興産が完成させ、昭和38年3月に坑口を閉鎖するまで使用された。
坑道は沖合約3キロメートル。最深部約二百メートル、総延長19キロメートルに及んでいる。形状は鉄筋コンクリ―トづくりで側面は石組、特徴は坑口の忍返です。
当時の工業の基礎となった石炭産業を伝える建造物として貴重なもので昔の面影をしのぶことができます。
平成10年3月23日 山陽小野田市教育委員会と書かれた説明板があります。
右上の写真は、坑口のすぐ海側の浜にある斜坑の遺構群です。かつての様子はわかりませんが、いまは太陽光パネルの敷き詰められた一角に遺構が残れています。

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