国鉄「山野線」は、沿線にある鉱山の開発のため敷設された路線で、昭和12年に水俣駅と栗野駅間が全線開通した路線です。
「日本一長い運動場」の説明板と松山橋間の廃線跡の路盤
■「日本一長い運動場」の説明板と松山橋間の廃線跡の路盤
山野線の路盤跡は、廃線から経過しているものの随所に遺構を見ることができます。
旧国鉄「山野線」は、水俣−栗野 55.7キロ、駅数16、全線単線、タブレット閉塞式の鉄道でした。沿線にある鉱山の開発のため敷設された路線は、栗野−山野間が1921年に山野軽便線として開業。水俣−山野間は改正鉄道敷設法の予定線で、1934年に水俣 - 久木野間が山野西線として開業。従来からの山野線は山野東線と改称。1935には山野東線が薩摩布計まで延長され、1937に県境区間の久木野 - 薩摩布計間が開業し全通しました。この際に、線名は再び山野線に戻っいます。
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