■四国霊場 第80番札所 国分寺 741年 (天平13年) 聖武天皇の国分寺造営の詔によって、讃岐国にも国分寺と尼寺が建立されました。讃岐国分寺は四国八十番札所白牛山国分寺としてその法燈を伝えており、境内には往時の金堂、塔の礎石がほぼ原位置に残っています。 四国唯一の特別史跡として保存・整備し、歴史的環境と調和した町つ゜くりを目指して、昭和58年度から発掘調査に着手しました。あしかけ9年におよぶ調査の結果、築地塀跡、鐘楼跡、僧房跡、堀立柱建物跡などの多くの建物跡が確認され、往時の讃岐国分寺が姿を現しました。これらの遺構は体験学習できるように復元表示を行い、特に、僧房跡は発掘した遺構とその一部を復元した建物を一度に見学することができます。 また、かつての伽藍の東側には讃岐国分寺資料館があり、讃岐国分寺跡から出土した土器や瓦を展示しており、金堂跡の復元模型や解説パネルによって往時の讃岐国分寺について知ることができます。と説明板に書かれています。 縁起略記 当山は、天平13年 (西暦741) 、約千二百七十余年前) 聖武天皇の勅願行基菩薩の開祖にして、国家安穏、五穀豊穣、万民豊楽等、祈願のため、また地方文化の発展を願って国ごとに建立された讃岐の国分寺 (具には金光明四天王護国之寺という) である。 創建当時の寺域は二町四方 (後述の諸堂が西に偏する為東西三町南北二町といる説もある) を有し、南より、南大門を入り、東側に七重の塔・中央に中門・金堂、講堂、等の諸堂があった。 現在、古義真言宗御室派の別格本山で四国第八十番の札所である。と書かれた説明板があります。 |