本山寺 五重塔 四国霊場八十八カ所の第70番札所である本山寺は、遅くとも平安時代から鎌倉時代初期にその存在が確認される真言宗の寺院です。 五重塔は、四国霊場では、竹林寺、志度寺、善通寺とこの本山寺の四カ所だけであり、常に象徴的な役割を担ってきました。 嘉永7年 (1854) の火災以降境内の荒廃が進んでいましたが、明治22年 (1889) に住職に就任した瀬富実穀 (よりとみじっき) により復興が進められました。 中でも復興の象徴的な事業であった五重塔の再建は14年の歳月をかけた大事業でした。 盲目だった実穀は59番国分寺を巡礼後、目が見えるようその恩に報いるために堂宇
復興に意欲を燃やしたといわれています。 心柱銘等の記録によると、明治29年 (1896) に斧始めを行い、明治36年 (1903) に三重まで落成、さらに浄財を募って、同13年 (1910) に五重まで落成し、上棟式が行われました。 心柱の墨書書。棟札には、棟梁 平間美能介勝範、多田寅市の名前が記されています。 初重には、胎蔵界五仏坐像が安置されています。 本山寺 本堂 寺伝によると、弘法大師の一夜建立といわれているが、現在の本堂は、1291 (正応4年鎌倉時代) に佐々木氏信の寄進を得て、1300年 (正安2年鎌倉時代) 心導上人の代に建て替えられたものである。 古文書などには、1854年 (嘉永7年江戸時代末) の火災にあって現存しないが、本堂の棟札や礎石の墨書などからみても、鎌倉時代に建立れたものであることは明らかである。大正13年特別保護建造物に指定され、昭和27年鎌倉建築として復元工事を行い昭和30年国宝に指定された。 また、四国霊場第70番札所として年中参拝者でにぎわっている。と書かれた説明板があります。 |