安楽寺谷川の水源と辺りの森を神とし、早くから開けた土地で「日置の荘」 (引野) と呼ばれる広大な荘園であった


四国霊場八十八か所 第6番札所「安楽寺」


■安楽寺
安楽寺の由来を説明板は次のように記されています。
平安時代前期 (弘仁6年815年) 弘法大師四国霊場御開創のみぎり、大師当地において42歳の大厄をのがれられ (さかさまつの由来) 自ら薬師如来の尊像を刻み、精藍を建立、安楽寺と命名された。山号を温泉山と号し、弘法大師が我が国に温泉湯治の利益を伝えた全国でも珍しい旧跡である。「四国遍礼霊場記」 (元禄2年1689年 寂本著) には「相遂来て医王の神化を人みな仰ぎ、寺院繁栄に至り、十二宇門甍を接し、鈴鐘のひびき絶える時なし。」と記され、安楽寺谷川の滝の行場や瓦が出土する古代寺院跡、雨宝堂とよばれている庵、神社、平安時代の線刻仏等、周辺に史跡が点在し、当時の広大な寺域が想像できる。
この地は安楽寺谷川の水源と辺りの森を神とし、早くから開けた土地で「日置の荘」 (引野) と呼ばれる広大な荘園であった。南北朝時代 (天授5年137年) 熊野新宮に寄進され、熊野の山伏 (六坊) が熊野権現を祀った。近世となり、仏式の葬式等丁寧に先祖を祀る習慣が定着すると安楽寺はこの荘域に檀家を持つようになる。安土桃山時代 (慶長3年1598年) 蜂須賀家政公の御信仰篤く、阿波の国主として入国するや、当山を駅路寺 (官寺) と定め庇護された。
茅葺きの方丈 (登録重要文化財) 当時を物語っている。神仏分離、廃仏毀釈の歴史を経ても信徒の恩顧深く四国霊場6番札所、温泉のある宿坊として現在に至っている。当寺は灌頂窟という道場を有す。願わくば参籠と、くす供養を以って先祖の廻向し自らも仏道を成ぜんことを。
と記されています。



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