■四国霊場 第50番札所 繁多寺四国八十八ケ所五十番札所で、本尊は薬師如来である。寺伝によると、孝謙天皇の勅願により、天平勝宝年間 (749−756) に僧行基が開祖したという。このとき、天皇から数流の旗を賜ったので「旗多寺」から「繁多寺」と呼ばれるようになり、「畑寺」の地名も生まれたという。「一遍聖絵」によると、正応元 (1288) 年、一遍上人が、最後の遊行に出る前に大宝寺や岩屋寺を巡拝して当寺に三日間参籠し、そのとき、亡父如仏の追善のために三部経を奉納した。応永元 (1394) 年、後小松天皇の論旨を受けし京都の泉湧寺から、当山第七住職となる快翁宗師が下向し、以後多くの高層が来住した。盛時には末院が120か寺に及んだという。当寺の梵鐘は元禄9 (1696) 年の銘があり、あらゆる階層の人々百人の寄進によって造られた寺宝である。また、徳川将軍家綱の念仏仏でふったという大聖歓喜天を祀っている。松山市教育委員会と書かれた説明板があります。