■地蔵寺 無尽山 「地蔵寺」 弘法大師作の本尊 勝軍地蔵菩薩は源義経などの武将に信仰され 本堂裏手の羅漢堂に羅漢200体が収められています。 山門の修行大師様御縁起之碑説明文 都に上り一人の沙門に虚空蔵求聞持法を教わった空海様は、四国の地で厳しい山野修行に若き情熱を傾けられました。こちらの修行大師様はそのお姿にあやかり、まさにこれから人々のために御慈悲の道を志されんとする若き人間大師の御尊影でございます。 台座に向かって左は高野山御縁起でございます。狩場明神伝説、奥の院御廟、燈龍堂が描かれ、根本大塔の大日如来を御本尊とし、阿弥陀如来の御座より若き層が四国の方に手を合わせ、遍路の無事と衆生の救済を願っておられます。 台座の右は修行大師様御縁起でございます。2001年3月18日、まるでお大師様が使われたかのように一匹の猫が現われ、大切な長男を亡くし悲しみにくれる私どもを導き2002年5月3日、銀杏から舞い降りるように弘法大師様が御来降されました。 この時、自ら厳しく、人に優しく、星を愛し、ひたすら輝き続けた子は、同じ志を持つ若者達とともにお大師様の元で永遠の命を授かったのでございます。 心をこめて念ずれば、必ずお大師様は皆様にも救いの手を述べられることでございましょう。 なお台座の中には、高野山、四国八十八ケ所をはじめお大師様に御縁の深いお寺の御石を納めております。本日はようお参りされました。 南無大師遍照金剛 願主願白 と刻まれています。 また、本尊 勝軍地蔵菩薩 (秘仏) の略縁起を次のように説明されています。 当山は、弘仁12年 (821) 嵯峨天皇の勅願によって弘法大師が開創されました。 戦国時代には武将の信仰が篤く、室町期には300余の末寺、26の塔頭を数える大寺院であった。 本尊勝軍地蔵菩薩は1寸8分 (約5.5cm) の甲冑をまとい軍馬に乗った珍しいお姿です。その後、宇多天皇の時代に当山住職、浄函上人が熊野権現の神託によって刻んだ延命地蔵の胎内に納められています。 と記されています。
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