西林山 「浄土寺」 四国八十八か所の49番札所です。西林山三蔵院と号し、御本尊は釈迦如来です。寺伝によると、天平年間(729-749)、僧慧明が創建し、孝謙天皇の勅願所となったといいます。天徳4(906)年、僧空也が諸国遇歴の途中、3年ほど滞在し、白刻の木像を遺したと伝えられています。建久3(1192)には、源頼朝が、伊予の豪族河野通信ともども家門の繁栄を祈り、堂塔の修理に力を与えています。境内に六六坊の末寺を有する巨刹でしたが、応永23年(1416)年、兵火で堂宇をことごとく焼失し、文明16(1484)年に河野道宣が再建して寺の景観は旧に復しました。その後、室町時代末期の兵火、更にまた、慶長5(1600)年には河野氏の残党が毛利軍とともに久米で戦った「久米の役」によって衰弊したが、その後、法印宥雄がこの寺を再興尽くしたといいいます。