「四国八十八箇所霊場と遍路道」をユネスコ世界遺産へ登録されることを目指す取組が進められています。


四国霊場八十八か所 第40番「観自在寺」


伊予遍路の入口 四国霊場八十八か所 第40番「観自在寺」
四国霊場第40番観自在寺は、伊予最初の札所で、第1番札所霊山寺から最も遠く、四国遍路の裏関所とも言われます。
観自在寺から第41番龍光寺に向かう道筋は、灘道・中道・篠山道の3ルートに分かれます。江戸時代初期に四国遍路の庶民化に大変貢献した真念が、1687年に刊行した案内書・四国遍路道指南 (しるべ) には。観自在寺からの道筋として、
「一すぢ なだ道 のり十三里
一すぢ 中道大がんだう越 のり十三里
一すぢ さゝ山越えムーのり十四里半
三すぢともに岩ぶち満願寺に至る」と記されています。
1769の触書では、宇和島藩は遍路の増加に伴って統制を強め、遍路が通行することは厳しく禁じられました。
霊山としてあがめられる篠山 (標高1065m) を超える篠山道を通る遍路もありましたが。人家の多い灘道の利用がその当時から一番多く、明治以降の近代的道路整備も、灘道を中心に進められ、県道 (現国道56号) 等が整備されました。戦後も自動車交通の発展に伴い自動車道の整備 (新規、拡幅、舗装、トンネル等) が進めれました。
近代的整備がされなかった区間の遍路道は土の道として残され、通行が途絶えることもありましたが、逆に昔の風情をとどめ、歴史的文化的価値は少なくありません。
「四国八十八箇所霊場と遍路道」をユネスコ世界遺産へ登録されることを目指す取組が進められています。遍路道は遍路が歩いてこそ価値があります。世界遺産とうめくの取組は、歴史的文化遺産である遍路道を八十八箇所霊場とともに将来を受け継いでいくため復元整備し、維持管理していく取組にほかなりません。
「四国へんろ道文化」世界遺産化の会と書かれた説明板が山門脇に設置されています。



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