赤亀山延光寺客縁記当山は神亀元年 (724) 聖武天皇の勅願により行基菩薩の創建にして本坊並びに十二カ坊を建造せられ本尊薬師如来は一刀三禮の御目作なり、その後、延暦14年 (795) 弘法大師錫を当山に久しく止め再興を図る。その時大佛浄水乏しさを憂い本尊を擬して地を掘り加護すれば霊水自ら湧き出す。この水を宝医水と名付け閼伽水に用う。今の眼洗井戸がそれである。延喜11年 (911) 赤亀が龍宮より錮鐘を背負い当山に納める。この由来により亀鶴山宝光寺を赤亀山延光寺と改める。上は王室帰依深く下は庶民信仰浅からず繁年は五百石の寺領を賜う。笑不動軸は巨勢金岡の筆にして定観17年 (875) 明俊僧正清和天皇より拝受せは尊宝なり、四国霊場第39場札所にて参詣者絶ゆる事なし。と書かれた説明板が山門に掲げられています。