御廟の橋・拝殿・御廟と高野山奥の院と同じ配列である事より、「西の高野山」と呼ばれる所似のひとつです


四国霊場 第21番 札所 太龍寺


■四国霊場 第21番 札所 太龍寺
太龍寺は徳島県那賀郡那賀町の北東にそびえる海抜600m余りの太龍寺山の山頂近くに在り、古来より「西の高野」と呼ばれ四国八十八所中白眉の名刹です。太龍寺が日本の歴史に所見するのは空海二十四歳のときの処女作であります三教指帰の中に「阿国太龍の嶽にのぼりよじ 土州室戸の崎に勤念す 谷響を惜しまず明星来影す」とあり御修行の地名が明記されているのは太龍寺と室戸岬だけです。
■太龍寺縁起
四国霊場第二十一番札所 舎心山 太龍寺
はるか歴史の懐へ 大師の足跡を訪ねて
太龍寺は徳島県那賀町の東北にそびえる海抜600mの太龍寺山の山頂近くに在り、古来より「西の高野」と呼ばれています。
延暦12年 (793) 19歳の弘法大師空海が、太龍獄 (舎心嶽・しゃしんがだけ) の上で百日間にわたり「虚空蔵求聞持法」 (こくうぞうぐもんじほう) 修法されたことは、大師24歳の時に著された「三教指帰」 (さんごうしいき) の中に「阿国太龍の嶽にのぼりよじ 土州室戸の崎に勤念す 谷響を惜しまず明星来影す」と記されています。つまり、太龍寺と室戸岬は青年期の大師の思想形成に重要な役割を果した修行地であることがうかがわれます。
その後、桓武天皇の命をうけた阿波国司藤原臣文山 (ふじわらあそんぶんざん) が伽藍整備を行い、以来歴代藩主の手厚い保護を受け、「虚空蔵求聞持法」根本道場・虚空蔵十三詣り等、真言宗の寺院の中でも、とひきわ輝かしい法灯を維持してきました。
大龍寺の寺領は、霊山にふさわしく、樹齢数百年を算する巨杉・大桧に覆われ、本堂・大師堂・多宝塔・求聞持堂・鐘楼門・本坊・護摩堂・六角経蔵等が点在し、四国霊場の中でも群を抜く壮大なスケールを誇ります。と太龍寺ロープウェイ配布のパンフレットに記載されています。



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