■焼山寺 本寺は弘仁5年 (815) 弘法大師の開基にかかり摩盧山正寿院焼山寺と言う。本堂に虚空蔵菩薩を祀り、大師堂には弘法大師の御像が安置されている。 その昔、この山一帯は毒蛇の棲む摩域で、しばしば大雨を降らし、或は大風を起こし、また諸作物を害するなど災いをなし付近の人民を虐げていた。大師はかかる魔境をこそ仏法鎮護の霊域とすべきであると山を登られて。大師の開創を恐れた魔性共は全山を火焔として聖者の行いを阻み妨げたが、大師は恐れず印を契んで敢然と登られるや、不思議とごうや劫火は見る見る消え衰え、大師の法力により天変地異あとを絶ち、楽土と甦った。 そこで山中に一宇を建立して、焼け山の寺と名づけ給うた。故に山号を摩盧山と呼んだ。摩盧とは梵語で水輪の意、すなわち火伏せに因んだ山号である。 今も尚、山上に毒蛇を封じたと称される岩窟があり、その岩頭に三面大黒天を刻んで建立したと伝えられ、三面大黒天は現在、寺内に安置せられ、日本三体の一つとして其の霊験は遠近に聞こえている。 境内には国主蜂須賀公より寄進されたる霊鐘あり、また、正中2年 )1325) には後醍醐天皇御宇霊跡として清浄の地たること上聞に達し、国家鎮護のため勅願の御綸旨を下され、今、寺宝として保存されている。 ひれより1キロ登れば海抜930mの奥の院に至る。その付近には、護摩壇、求聞持の窟、せり割り岩、閼伽の水、五葉の丸、杖立の峰など、大師ゆかりの遺跡、名勝が数多くある。 使用和63年11月10日 奉納 鴨島町 久米衛 と説明板に書かれています。
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