左岸側は「轟の瀬」と呼ばれる急流で、古来より往来の難所として知られていました


第一三島沈下橋


■第一三島沈下橋
架設 1966年 (昭和41年)
橋長 77.0m
幅員 3.3m
三島は四万十川最大の中州でありながら、そこでは水田の耕作という独特な土地利用が行われています。
三島の右岸の国道381号線側が第一三島橋、左岸の轟集落側が第二三島橋であり、この2つの橋が完成するまでは渡し舟が運行されていました。
中州で左右に分流する四万十川は、右岸側は比較的穏やかですが、左岸側は「轟の瀬」と呼ばれる急流で、古来より往来の難所として知られていました。
第一三島橋と第二三島橋の架橋により、中州である三島と両岸の往来が容易となり、中州での農作業も大きく向上しました。
■水田 (水田)
四万十川最大の中州・三島が広がる水田は、その左岸にある轟 (とどろき) 集落の主要な生産場となっている。
夏季は水稲、冬季はナバナ栽培の二毛作を営む。
慶長2年 (1597) 年の上山郷 (かみやまごう) 検地帳には、三島に「田」と記されていることから、この頃に陸稲などの耕作が行われていたと考えられる。
昭和34 (1959) 年、旧十和村によって揚水施設が整備されるまでは、対岸の北ノ川集落から取水されていた。現在、耕作面積は約6.5ヘクタールあり、住民によって築かれた石垣も残されている。
と書かれた説明板があります。



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