■ 折り鶴の像 像の真下にある石碑には 「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」と刻まれています 裏側には 犠牲となった児童生徒を慰霊し世界平和を呼びかけるために、全国の友の支援を受け 広島市内小・中・高校有志によって設置された と「広島平和をきずく児童生徒の会」による説明文が書かれています1955年、広島市立幟町中学校一年の佐々木禎子さんは、突然発病した原爆による白血病のため、12歳の短い生涯を閉じました、級友たちはその死を悲しみ、全国の子どもたちに呼びかけて、1958年、広島の平和記念公園に原爆の子むの像を建てました。病状で生き抜く希望の折り鶴に託したサダコの物語は、やがて国の内外に広がり、多くの折り鶴が広島に届けられるようになりました。 それから折り鶴の一羽ずつにこめられた願いを、わたいしたは大切に受け継ぎます。そして、禎子さんの命日である10月25日には、ヒロシマの子どもたの堅い意志をあらわすこの黒御影石の碑に折り鶴を置き、世界に平和を築く決意を明らかにします。2003年3月 広島市幟立町中学校 生徒会 と刻まれています。
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