■佐久間象山先生銅像佐久間象山先生の生誕地、長野県長野市松代町の象山神社には先生の略歴と功績を次のように説明しています。幕末の大先覚者である。松代藩主佐久間一学の長男として文化8年(1811)に生まれる。6歳の時から父や鎌原桐山・活文禅師などから学問・武術を習い、20歳で詩文・経書・武術等免許される程の秀才であった。23歳江戸佐藤一斎の塾に入門、渡辺崋山・藤田東湖等と親交。3年で帰藩し、藩の子弟に経書や漢学を教える。この頃名を修理、号を象山と改める。29歳江戸お玉ケ池に象山書院を開き、多くの門弟を集める。藩主幸貫老中で海防掛の時、海防八策を幕府に上申する。 36歳帰藩し、湯田中・沓野・佐野(志賀高原)の利用係として開発に努力、又大砲・電信機等の制作・実演をする。と書かれています。上の佐久間象山先生の銅像は、八幡原公園にあります。その地は、武田信玄・上杉謙信の戦いの古戦場の八幡原古戦場跡です。 . : * ・ ゚ ゚ ・ * : . ・ ・ ・・・ 。 ♪