■長野県松本市 縄手と蛙 なわて通りある説明板は、縄手と蛙を次のように説明しています。 その昔、「縄手」は松本城のお堀と女鳥羽川(めとばがわ)の清流にはさまれた「縄のような細く長い土手」でした。
明治12年に四柱(しはしら)神社が建立され、縄手はその参道として発展してきました。車止通行止め(今でも歩行者天国)の通りは、祭事にはずらりと露店が並び、通りに沿って流れる女鳥羽川の水辺では、河鹿蛙(かじかがえる)が美しい鳴き声をかなでていました。 境内かに流れる太鼓の音、アセチレン灯の臭い、啖呵売(たんかばい)の声、金魚すくいに打ち上げ花火など、独特の情緒がただよう通りでした。しかし、いつの頃からか、川が汚れ河鹿蛙は上流に追いやられ、通りも活気を失った時期がありました。 昭和47年「かえる大明神」祀り、もう一度、水清く・活気ある通りにカエようと新たなとりくみが始まり、以来「かえるの街」として、市民や旅の人々のホッとできる通りとして現在に至っています。と書かれています。 . : * ・ ゚ ゚ ・ * : . ・ ・ ・・・ 。 ♪
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