■鏡ケ池伝説 小松女院都が奈良から京都へ移った平安時代の中期(紫式部の「源氏物語」や清少納言の「枕草子」の書かれた時代)醍醐天皇の孫娘、小松女院は、美男で横笛の妙手といわれる清少納言の兄、清原正高に密かに心を寄せていました。二人は、いつしか心通わせるようになりますが、正高は豊後の国(大分県)、小松女院は因幡の国(鳥取県)と離されます。 月日は過ぎ、正高を恋い慕う小松女院は、といとう豊後の国へ正高を探しに出かける決意を固めるのでした。 侍女十一人を従えて因幡を発し、はるばる小国の地においりたった一行は、祠の下から清い泉が湧いている、この池の近くの民家に宿をとりました。小松女院は、正高に恋い慕う己の姿を映し出す鏡を身代わりとして神仏に奉げ、鏡をこの池に投げ入れました。切なる女院の心を察した侍女十一人も各々鏡を投じて再会のできるよう祈りました。そののち村人たちは、この池を「鏡ケ池」と呼ぶようななりました。 一行が次の下城の民家に泊ったとき、随行の乳母が力尽きて亡くなりました。村人たちは、墓じるしに銀杏の木を植えました。現在、天然記念物に指定されている下城の大イチョウです。 その後の足取りは、山を越え玖珠の地で正高に妻のあることを知り、とげられぬ悲恋の情にたえず、名もいう優しき三日月滝(織月滝同)にはてました。 肌身離さぬ鏡は女の宝、それを惜しげもなく池に投じて恋人にめぐり合うことを祈った女院と姫を思う侍女の美しき心、幾久しく伝えたい。
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