■御手洗さん 説明板は、御手洗さんを次のように説明しています。植木町清水甲区の「御手洗さん」には、昔から伝えられている伝説があります。 神功皇后(じんぐうこうごう)が熊襲(くまそ)征伐へ行く途中、この池に行啓になり八神殿を祀り、戦捷を祈念されます。その行啓の道筋は、高瀬(現玉名)から9艇の船で菊池川を遡り千田聖母八幡宮(祀神功皇后)の下に船をつなぎ(現在船つなぎの石が残っています。)そこから川上の方へ皇后は歩いて進まれ、「湖水」に対して「此処までが水の原だなー」と言われたので、その部落の名前は「水原」と成った。また、水の元は何処かだろうかと、弓矢を放たれ、このとき弓を結ばれた所が「結(むすび)」と地名が成った。川上に向かい矢が刺さった所が「御手洗さん」です。 矢の方向へ進むと、長い沼があり地名が「長沼」となり、さらに進むと「小さな出水があるなー」と言われ「小清水」の地名となり、さらに、矢の方向に進まれ、放たれた矢が刺さっていた湧水で手を洗われ、身を清めたことから、「御手洗(みたらい)」と命名し、御手洗さんとして地域住民から親しまれています。BR>この場所には湧水で池が出来ており、この池に神功皇后の右足を形どり、池の中央には石で四角に積み上げられた2メートル四方の中島があります。その中に「霊竹(れいちく)」といわれる竹が自生しています。(右のバーに写真)。この竹は、明治37・38年の日露戦争の時、必勝祈願の御幣竹を土に埋めたところ、その御幣竹から根が出て芽が吹き今でも生き続けています。 千田川の源流は、矢が刺さったところから湧き出した源水「御手洗さん」であることから(矢の根川)という説もあります。 御手洗さんと、千田聖母八幡宮々は、深いつながりがあると感じられます。尚、今でも「御手洗さん」は住民の飲料水や憩いの場として地域住民から慕われています。(髄略)と記載されています。
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