天目一箇神を祭り一般に一ツ目神社 約千五百年の祭祀の熊本県内屈指の古い社です。


周囲は菊池川の源流のひとつ、蛍の里、トンボの里、チョウも39種、蝉も6種の昆虫たちの聖域です。...



■一目大明神 参道
説明板は、一目明神を次のように説明しています。
本社 薄野神社は天目一箇神を祭り一般に一ツ目神社と称する。肥後国誌に記載されている社殿裏の世止命の池の水生植物群落、春の桜、秋の紅葉など県北の名勝として広く知られている。
今から約千五百年の昔、継体天皇の四年(501)11月、高天山の神主若山連(むらじ)の末裔吉田氏か斉き祀ったといい県内屈指の古い社である。
現在の社殿は焼失後、元禄6年(1693)2月に建立したが、再び炎上、安政8年(1779)再建、拝殿は天明3年(1783)10月、楼門は寛永4年(1751)の建立である。
もと旧三玉村の村社であったが昭和31年6月宗教法人となつた境内神社として八坂神社、熊野神社、木幡神社、稲荷神社、天満宮を祀る。使昭和27年新法人切り替えによって久原の本今田永田、本霊仙に奉祀する菅原神社三社および催合の天神社を飛地境内社とした。
祭神はいづれも菅原道真公である。
伝承によると住吉、旧玉村浦生の不動岩と旧三岳村彦権現が首引きをした時、この地にあってわが子の首引きを案じた母神の目に首引きの大綱の端が当たり一眼をうしなわれたので、その母神を祀って一ツ目神社と称するようになったという。
また民俗学上では天目一箇神は古代における鍛治雌雄段の祀るところであるともいう。
本社を有名にしたのは、寛政のころ(18世紀)伊勢松坂の本居宣長の門に学び、肥後の国に初めて国学を導入した社司帆足長秋である。
彼が書写した古事記伝は高く評価され県重要文化財に指定されている。また、彼が描いた神社絵図も今に遺り荘厳な本社の往時を物語っている。
平成3年9月の第19号台風のため社殿は倒壊し神殿、楼門、境内社等も多大な被害を受けたので氏子相謀り拝殿並びに篭堂を新築し神殿、楼門、境内社を修復し平成5年4月3日盛大な落成式を挙行した。平成5年4月3日 熊本県装飾古墳館館長 原口長之織 脇山嘉枝謹書 と書かれています。


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