豊後街道は、江戸時代の参勤交代に江戸へ行く最短のコースとして整備さりた重要な街道


的石御茶屋跡 隼鷹天満宮・的石湧水


■参勤交代と的石御茶屋跡
豊後街道は、江戸時代の参勤交代に江戸へ行く最短のコースとして整備さりた重要な街道でありました。熊本城を出発して大津で第一夜を明かした藩主の一行は、高尾野、新小屋などを経て二重の峠で休息したのち、石畳の坂道を下り的石御茶屋で昼食をとられた、次の宿泊地である内牧を目指されました。
的石御茶屋は、元禄10年2月に小糸次右工門忠経の屋敷を御茶屋と定め、改築の上御茶屋番に任じられ、その後代々御茶屋番を勤めましたが、明治5年の廃藩置県により御茶屋は廃止され、そのまま小糸家の住居となり、現代に及んでいます。
細川家の参勤交代のための大津、内牧、坂梨などの御茶屋跡は、的石御茶屋跡だけが、昔日の面影を残しています。と説明板に書かれています。


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