永正7年 (1510) に15代竹迫公種 (久種) が大友氏に従い豊後に移るまでの約320年にわたり竹迫氏の本城


合志市指定文化財 竹迫 (たかば) 城跡 別称 合志城・上庄城・蛇尾(じゃのお)城 遠景


■合志市指定文化財 竹迫(たかば)城跡 別称 合志城・上庄城・蛇尾(じゃのお)城
竹迫城は、建久年間(1190−1199)に合志郡の地頭職となった中原師員(竹迫氏初代)によって築城されたといわれ、永正7年(1510)に15代竹迫公種(久種)が大友氏に従い豊後に移るまでの約320年にわたり竹迫氏の本城でした。その後、永正8年(1511)には、合志高岑が池上城(泗水町)から竹迫城に移り、名称を合志城に改め、5代約80年城主をつとめました。この竹迫氏・合志氏時代の約400年を通じて竹迫城は肥後北部の政治・軍事上の拠点として重要な位置にあり、南北朝時代には菊池氏・阿蘇氏と対立、戦国時代には大友氏・龍造寺氏・島津氏の争点となりました。
このように中世の全期間を通じて重要視された竹迫城でしたが、天正13年(1585) 9月に、薩摩の島津氏の進攻により落城しました。現在は城跡ほ残すのみの竹迫城ですが、当時は東西方向に延びる丘陵の背を巧みに利用した要害堅固なものであったようです。また、城跡の中心地と伝えられる城山の最高所には楕円形の平坦地(直径54メートル・短径28メートル) があり、周囲は大規模な土塁と空堀が確認でき、県下でも有数の中世城跡として高い評価を得ています。平成2年にはこのような中世城の特色である土塁や空堀を残して整備がなされ公園化されました。
合志市教育委員会 平成10年3月 と書かれた説明板があります。


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