熊本城築城の城主 加藤清正公を祀る 熊本城内 加藤神社


加藤神社 清正公 (せいしょうこう) 夏祭り


■加藤神社 御祭主 加藤清正公
加藤清正公(永禄5年(1562)6月24日〜慶長16年(1611)6月24日)は、尾張国愛知郷中村(現名古屋市中村区)の御出身で、戦国時代の智仁勇の三徳を兼備された模範的な武将として、また、熊本に於いては、日本三名城の一つである熊本城の築城と、そりにはじまるところの富国安民の国づくり政策を推し進めた方であります。 それは県下に亘る土木・治水工事をはじめ、干拓開墾・植林・交通の便の為の街道づくり・焼物等幾多の国の発展の礎となる産業の奨励保護等民草の為の治政をなされ、また、学問の奨励、文化の開拓等と一つ一つ列挙すれば限りない程の偉業を残された領主であられます。 それに武将としての清正公は、単なる勇ましいばかりの武士ではなくして、常に大儀名分を重んじられると共に、上には忠と義を以って、下には慈悲と情を以ってあたられた方であります。この様に27歳で肥後国に入国され50歳で逝去なされた、清正公の50年の人生は、実に至誠にして高潔なる人格者であり、いつの時代に於いても尊崇敬慕されるにふさわしい理想的日本人であられ、熊本県民にとっては、熊本発展の礎となる有形無形の役割を果たされた大恩人であられます。


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