熊本では思い切った事をするときの例えに「百間石垣後ろ飛び」という言葉が使われるようになった。


熊本城 百間石垣 後ろ飛び


■熊本城 百間石垣
熊本城北側の重要な守りとして築かれた石垣で、加藤家重臣の飯田覚(角)兵衛が築いたと言われています。熊本城二の丸絵図によると高さは約五間ほどで、長さは百一間になる。この長さから百間石垣とよばれるようになった。
言い伝えによると、ある年の正月、三東弥源太という若者が家老の長岡監物邸のしめ飾り盗んで逃げるとき、「えーもさんさい」とばかりに、この高い石垣から後ろ向きに飛び降りたとうである。それ以来、熊本では思い切った事をするときの例えに「百間石垣後ろ飛び」という言葉が使われるようになった。と説明板に書かれています。


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