■熊本市 下通アーケード商店街 雛祭 2016 説明板の記載 上巳(じょうし・じょうみ)節供、ひいなの節供、桃の節供、女の節供といろいろな呼び名が定着していますが、およそ千年も昔の平安時代に五節句(七草・上巳・端午・七夕・重陽)の一つとして始まりました。 最初はどうぞ一年を元気で過ごせますようにとお祓いした紙人形で体をなでて災いを人形に移して川に流したものでした。それが人形(せちえ)遊びと結びついてひなまつりに発展しました。節供には、節会(せちえ)と言って宴会かつきものです。白酒や菱餅やあられが用意され、貝合わせや、すごろくや、投扇興などのゲームを楽しみしまた。 おひな様も紙で折った立雛からすわり雛になり、現在の衣装人形や木目込み人形に発達したのは江戸時代だと言われています。大名の姫君の嫁入り道具として、見事な工芸品が作られるようになりました。飾り方もお内裏様だけを飾る親王飾りから、五段飾り七段飾りとあります。 当時のことですから、太陰暦(旧暦)で行われていましたが、太陽暦の導入と同時に季節感が合わなくなりました。七草にはハウス栽培で七草を整え、桃の節供には桃の花の造花、七夕は梅雨の末期、重陽には菊もハウス物。そこで、肥後のひなまつりでは新暦と旧暦を結ぶ形で実施し季節感を大切にすることにしています。今年もお元気でお幸せでありますように。 城下町くまもと 肥後のひなまつり実行委員会 と書かれています。 平成28年 (2016) 暖かな昼下がり |