■相良観音 相良寺の起源 (説明板の内容) 吾平山相良寺は、天台宗祖伝教大師最澄上人が弘仁5年に開かれたお寺である。源平時代、平家にしたがっていた菊池隆直の一党が相良の地にこもった所を、源氏方の武将、緒方三郎推栄に攻められたため、本堂をはじめ、99もあったと言われる坊舎全てが焼失した。 その後、永正(室町時代)年間に千手観音が再興され、明治時代の廃仏毀釈の法難も逃れ、明治13年に現在の本堂を再建し、第88世住職尾崎行詮法印を迎えてから約130年経過し、今日に至っている。 當山は、祈願寺なので様々な趣旨の御祈願に来られる方が多いが、特に昔から安産、子授けに霊験があると言われている。 その由来は、61代朱雀天皇の時代にさかのぼる。 朱雀天皇の時、皇后が子宝に恵まれなかったのか、ご出産で苦しんでおられたかは定かではないが、当時、皇室の勅使がご来山になり、七日間本堂にこもられ、祈願された所、無事に62代村上天皇がお生まれになられた事に端を発する。 また、當山には、国指定天然記念物のアイラノトビカズラ樹がある。昭和27年3月29日に国の特別天然記念物に指定されたが、この樹は豆科の植物で、結実しない珍しい植物である。 相良寺の御本尊は、千手観音で、木彫りの座像では日本最大と言われており、毎日多くの善男善女が様々な願いを祈念されている。 相良寺住職 千田晃彰 と記されています。
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