■塩井社水源 塩井神社 御祭神 罔象女神(水の神様)罔象女神は伊邪那美命の子で水を司る神と呼ばれています。塩井神社の創建は、文禄2年(1593)までは南郷谷総鎮守八坂神社の夏大祭の御神幸の社とされていたお社です。 塩井神社に一泊した後翌日御本社(八坂神社)に環幸されていたが天正年間(島津勢の当国侵入)の兵乱により塩井神社への神幸は廃絶されたと伝えられます。こうした八坂神社の中期の神幸式との関係等から塩井神社の創建は平安期とされています。 あがめ水源から流出する川を塩井川と呼びました。何故、水源を塩井と呼ぶか神事では清めるときに塩を用いる故に清水を塩井と呼んだものと考えられます。境内坪数373坪、祭日7月20日、10月20日社殿坪数7坪と記してあります。南郷事蹟考には現在の松の木村は天正年間(1573-92)には塩井村と呼び長野越前の守の領地であって南西郡には清水湧出する塩井社があるとされ明治9年(1876)中村と合併し中松村となると記してあります。肥後神年鑑には塩井神社お手水清水湧出で勢甚だ盛んにして近村の田畑を養うて末は白川に合すとされています。 現在は中松三区内の灌漑用水として四十町歩隣接の長陽村で三十余町を灌漑用水として利用されています。町村制施行により明治22年(1889)両併村・白川村・吉田村・一関村・中松村を合併して現在の白水村が誕生しました。 この湧水は「不老長寿」「諸病退散」の神水として昔から語りつがれ尊ばれています。白水村 と社殿脇の説明板に記されています。 |