社殿が鳥居より下にあるいわゆる下り宮と呼ばれる珍しい配置 草部吉見神社


草部吉見神社 (不老長寿の水)



■草部吉見神社(不老長寿の水)
草部吉見神社は、熊本県阿蘇郡高森町宮原に鎮座し、旧社格は郷社。
主祭神は日子八井命で、ほか健磐龍命、阿蘇都比当スなどの十二神を併せまつる。
日子八井命は、神武天皇の69年、東征の時、日向高千穂より草部に入られ、しばらく川走の窟(イワヤ)に住まわれたのち、今の草部吉見神社の所にあった池を干し宮居を定められた、このとき襲ってきた大蛇を斬られ焼かれた、大蛇か血を流しながら逃げて行った所を地引原(現地引原)、焼かれた所を灰原と言い、今もこの地名が残っている。
創建は阿蘇神社に先立つこと6年と言われる。
宮居を定められたその翌年、健盤龍命(神八井命の御子・阿蘇大神という)が下向とて来られると迎え、請われて姫を建盤龍命の妃にされた。この姫が阿蘇都比唐ナあり、日子八井命は健盤龍命と力を併せ、内には九州鎮護、外には東征という朝廷の国土統一事業の一翼を担われた。
天正年間に戦国大名化した豊後の大友氏が肥後に侵攻し、社領は略奪され権大宮司家は一時祠官家を離れて村民の中に身を潜めた、寛政5年(1793)に祠官家が復興され、文化7年(1810)には祝部(ハフリ)家が再興された。
社殿は浸食の進んだ南外輪山の舌状台地の中央に位置し、社殿が鳥居より下にあるいわゆる下り宮と呼ばれる珍しい配置で、鵜戸神社(宮崎県日南市)、貫前神社(群馬県富岡市)とともに日本三大下り宮の一つに数えられている。
社殿下に吉ノ池(八功徳水とも言う。)と呼ばれる湧水池があり、境内地には年経た杉が繁茂し、参拝する者を厳粛な気分にさせる雰囲気が漂っている。
社殿の東方300mばかりのところに、石の玉垣で囲まれた日子八井命の御神陵(ミササキ)がある。陵墓参考地)。
摂社として、草部吉見神社から1.5Kmばかり西の菅迫(スゲノサコ)に日子八井命の御子天彦命と天彦命の妃天比当スをまつる三郎神社がある。
例大祭は、7月31日と10月17日の夏、秋2回で、7月31日には地引原の御仮屋まで神輿の御幸があるほか、社殿前の神楽殿で岩戸系の神楽33座が奉納さける。10月17日には社殿横の広場で大神御手相撲が奉納される。
平成10年10月吉日 建立 と書かれた由緒説明書きがあります。


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