弓削とは文字通り武器の弓を製造する集団部落


弓削法皇社 弓削の由来


■弓削法皇社 弓削の由来
肥後国合志郡弓削村(明治初期) 弓削という名には法皇神社を祀るようにあまりにも弓削の道鏡の映像がまつよりついている。たしかに道鏡は河内の弓削 (大阪府八尾市) 出身で稱徳天皇に寵愛され、一介の僧侶から政権をほしいままにした人物である。このように道鏡は妖僧の面影がまことに強い。この道鏡に弓削をなぜ結び付けようとするのだろうか。弓削とは文字通り武器の弓を製造する集団部落であった。だがもっと道鏡にあやかろうとした点はきわめて性的なにおいにいろどられているが、庶民の豊穣えの願いがそのような形をとったものと思う。巨根えの呪具でもあったらしい弓削の弓も破魔の聖器でもあった。境界にあって外からくる悪霊をふせぎ、庶民に幸せをあたえる神を崇拝したのが弓削である。
弓削法皇社 奉賛会 と説明されています。


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