■弓削神社 天神の由来 この天神さまは七春天神と称し神宮裏一帯の川原の守護神として昔から村人達に敬れ祀られているこの裏の川原を石畳川原と呼ばれている。昭和21年までは夏とともになれば付近一帯の子供達の唯一の遊びばとなり水泳をする者又は川原に寝転んで甲羅をほす者又は川の中のさまざまな石の上で甲羅をほし嬉々としてたわむれる姿はまるで河童のようでまことに懐かしいそして楽しい遊びとなっていた処だった。この 子供達を水難から守られる神として代々村人達の極めて信仰厚い神である。 この天神の加護に依り氏子の中でこれまでこの付近一帯で、水難事故に遭った者は一人もないと代々古老から言い伝えられている。 昭和15年頃までは此処に数百年を経た楠の大木が在り秋の祭り(10月19日)に大きな締縄を造り七巻半に飾り附する例になっているがその大木も枯死寸前に老朽し神殿その他に危険を慮り現在の若い楠と取替えた次第で永い歳月の信仰と共にこの行事は永久に続くものと思われるが又決して絶やすことがあってはならないと思っている。 弓削神宮奉賛会と説明されています。
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