昭和23年9月に祠殿から神社へとなったことに伴い桜山神社と称されるようになりました。


宮部鼎蔵の歌碑


■宮部鼎蔵の歌碑
宮部鼎蔵 (本名増美、1820生まれ)は、幕末の頃、肥後勤王党の中心人物として活躍した維新の志士です。
憂国の志の深かった祖父や勤王党の始祖林桜園の影響を受け、尊皇攘夷の考えを強く持っていました。
諸藩の勤王の志士と交流がありましたが、特に長州(山口)の吉田松陰とは深い交わりを持ち、松陰は、鼎蔵のことを「君には忠、友には信、親に孝なり、懇篤剛穀(こんとくごうき)の人」と評し、兄のように慕っていたといわれています。
「いざ子供 馬に鞍おけ九重の 御はしの桜 散らぬそのまに」 この歌は、鼎蔵が、熊本を離れ京都に赴く時、まだ幼い子供達を前に尊皇愛国という自らの不退転の決意を詠んだ一首です。この後、鼎蔵は、尊皇攘夷派の勢力回復に力を尽くしましたが、京都の池田屋で新選組の襲撃に遭い自決しました。享年45歳。
碑文は、細川護立氏の書で、昭和38年(1963)殉難百年を記念して建てられました。
碑の脇の説明文に書かれています。


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