昭和23年9月に祠殿から神社へとなったことに伴い桜山神社と称されるようになりました。
神風連 : 桜山神社
■神風連 : 桜山神社
桜山神社は、大正2年に建てられたもので、当初は桜山祠殿と称されました。その後、昭和23年9月に祠殿から神社へとなったことに伴い桜山神社と称されるようになりました。
神殿の奥には「誠忠之碑」と「百二十三士之碑」の二つの碑が建てられており、「誠忠之碑」は、維新の際に国難に殉じた肥後勤王党の宮部鼎蔵 (あがたていぞう) などの二十三士を祭っており、「百二十三士之碑」は、神風連の変にたおれた大田黒伴雄 (おおたくろともお) ら百二十三士を祭っている。
また、拝殿西側には、敬神党百二十三士の墓碑と肥後勤王党の育ての親である林桜園 (はやしおうえん) の墓があります。
現在は、ここには二百七十八柱の霊が祭られています。と説明板に書かれてます。
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