■ 樺崎砲台 (復元)幕末、宇和島藩は、嘉永三年(1850)に高野長英の設計に成る御荘久良砲台が完成しています。宇和島湾には、安政二年(1855)三月、砲台築造に着手し、同年十二月にこれを完成しています。さらに、元治元年(1864)には、湾の対岸に戎山砲台が築かれています。樺崎砲台は、いまは埋立地の内陸部の宇和島市立歴史資料館の脇にありますが、江戸末期や明治初期は海岸線に隣接するところに築かれています。樺崎砲台は、宇和島市立歴史資料館の脇にあります。