お茶屋は江戸時代、藩主・幕府役人・九州の諸大名などが休憩や宿泊する公設の本陣のことです。


山口県の名湯 「湯田温泉」 湯田御茶屋


■ 湯田御茶屋
お茶屋は江戸時代、藩主・幕府役人・九州の諸大名などが休憩や宿泊する公設の本陣のことです。その中に97坪の御茶屋がたてられていました。
殿様の入浴の一例を紹介すると、毛利重就(七代藩主)が子ども熊五郎(八男興言)と側室を同伴して寛政元年4月12日から5月4日まで入湯しています。
浴室の状況は、
「本鍵二間四方、湯壷四尺四方、深き四尺、湯壷の外は総敷石」、「中湯横二間縦五間、湯壷二か所五尺四方、深き四尺、湯壷の外は総敷石」「下湯横二間縦四の、湯壷二か所五尺四方、深さ四尺、湯壷の外は総タタキ土」「揚清泉横二間縦二間半、湯箱四尺四方、深さ二尺四寸、井戸より汲み上げにして入浴する」
いずれも湯壷が非常に深かったことがわかります。
殿様や婦人は湯坪には入られずに、湯惟子ほ身につけそぎに座ったままで、お付の人たちが浴槽から湯を汲んでかけていたと思われます。
お湯の管理は、湯別当といわれた野原家が管理していました。と説明板に書かれています。



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