井上馨の袖解橋の遭難にはただちに馳せつけ、数カ所の刀傷を五十数針縫い合わせる大手術


所郁太郎の顕彰碑 井上公園 山口市


■ 所郁太郎の顕彰碑 井上公園 山口市
所郁太郎は天保9年、美濃国赤坂に生まれた。長じて京都に出、医学を学び、さらに大阪の塾で西洋医学・洋学を修め、学・術ともに精した。京都で医院を開いたが、長州藩の京都の近くであったので、藩の邸内医員を委嘱された。尊皇の志が篤く、長州藩士と深く交わって時勢を通観し、医業をやめて国事に尽くそうとし長州に来住した。下関の攘夷戦にも参加し、七卿西下に附してはその医員を命ぜられた。
元治元年9月、井上馨の袖解橋の遭難にはただちに馳せつけ、数カ所の刀傷を五十数針縫い合わせる大手術をなし、瀕死の井上を奇跡的に救った。後年の井上の業績を思うとき、この所の治療を忘れてはならない。
慶応元年正月、高杉晋作が兵を挙げ、藩の俗論党と戦った時、所は迎えられて遊撃隊の参謀となり、高杉に協力した。
その後幕府の長州征伐に備えて、軍を進めようとした時、にわかに病んで、吉敷の陣中で没した。27歳であった。
明治になり特旨をもって従四位を贈られた。と説明板に書かれています。



♪ 。 . : * ・ ゚ ゚ ・ * : .        . : * ・ ゚ ゚ ・ * : . 。 ♪
1998-2017 itigoNet & StrawberryClub, internet cection Since 1998.12.20

当ホームページ内の画像およびイラストなど全ての内容につきまして無断転載・転用を固くお断りいたします。