■錦帯橋 錦帯橋(きんたいきょう)は、山口県岩国市の錦川に架橋された木造のアーチ橋 5連のアーチからなるこの橋は、全長193.3メートル、幅員5.0メートルで、継手や仕口といった組木の技術によって釘は1本も使わずに造られています。石積の橋脚に5連の太鼓橋がアーチ状に組まれた構造で、世界的に見ても珍しい木造アーチ橋として知られます。 ■流れない橋を 城下町を流れる「錦川」には、幾度も架橋がなされましたが、橋はことごとく流失しました。 「流れない橋を架けたい」それは、三代藩主「吉川広嘉 (きっかわひろよし) 公」の切なる願いでした。そこで、明文化に関心のあった広嘉公は、「西湖遊覧誌」という書物に興味を抱き、これを拝見する機会を得ました。 (そこには、湖の点在する島伝いに石橋が架かる挿絵があった。) 「これだ」 錦川の小島のような橋台を造り、そこに頑丈なアーチ型の橋を架ける。試作と失敗を重ねた末、1673年に、築城技術と組木を最大限に生かした橋が完成したのです。 ■世界的遺産の流失 不落の名橋も戦中戦後に手入れが行き届きませんでした。そして、1950年9月14日、岩国地方を襲った「ギジヤ台風」に錦帯橋の橋上からの圧力で流出を食い止めようとしました。 しかし、午前9時40分、まず第3番目の橋台に亀裂を生じ崩壊したため、第、4橋が流失、「国宝に」ともあった錦帯橋は
多くの市民が見守る中に濁流にのみ込まれました。 ■名橋再び 市民にとって、錦帯橋を失ったことは、大きな悲しみでした。しかし、一週間足らずで市議会が再建声明を発表、直ちに全市をあげた再建運動が展開されました。そして翌年から巨費を投じての大事業が始まりました。 再建の調査に入った技術者たちは、「錦帯橋の工法は現代力学の法則に合致していて、何ら改善の余地は無い」と結論づけたほど、構造は精巧なものでした。 こうして約2年の歳月を費やし、1953年1月15日、錦帯橋はよみがえりました。 ■平成の架替 木造である錦帯橋は、腐朽による痛みがみられるようになったため、50年ぶりに架け替えが行われました。この度の架け替えは、現在の木造部分を現況どおりに作成し、総事業費26億円を要する大事業となり、2004年3月20日錦帯橋架橋工事が完成しました。 このように配布されているパンフレットに記載されています。
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