■ 日本最初の天神さま 防府八幡宮 御祭神 菅原道真公 天穂日命 天照大神の御子 武夷鳥命 天穂日命の御子 野見宿禰 天穂日命より十四代・土師氏の祖 菅原道真公 平安の古、菅原家は学者の家として栄えておられました。その家柄の中で道真公は菅原是善の子として、承和12年(845)6月25日にお誕生になり、幼名を「阿呼」「吉祥丸」と申されました。幼少より学問に優れ、僅か5歳の時、庭に咲いている梅を愛でられ、 「美しや紅の色なる梅の花 阿呼が顔にもつけたくぞある」 と詠みになりました。 その後、18歳で文書生、33歳で文書博士になられ学識を高めていかれる一方、誠実な政治感覚により時の帝の信任も篤く高位高官へ昇られ、55歳の時に右大臣に任ぜられました。しか時の権力者である藤原氏による讒言により無実の罪を着せられ、昌泰4年(901)1月25日、九州大宰府へ左遷されることとなりました。その際御自宅紅梅殿の庭にて 東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」 と和歌を詠まれて、永く親しまれた梅の花に別れをお告げになりました。 左遷により2年の月日が経った延喜3年(903)2月25日大宰府にて無念の思いのまま薨去されました。そこで亡骸を牛車にお乗せし引かせたところ牛が伏せて動かなくなりました。人々は「きっとここに葬って欲しい」という道真公のお気持ちの表れであると思い、その地(今の大宰府天満宮)に葬りました。 薨去後、都では天災地異が続き左遷に関わった者達が次々に亡くなりました。人々は道真公の怨霊の仕業に違いないと畏れ、御御霊をお慰めするため京都の地(今の北野天満宮)に神としてお祀りしました。 道真公と梅と牛にまつわる伝承は数多くあり、そのことから全国の天満宮では境内に梅が咲き誇り、牛は天神様のお使いとされ、臥牛が天神さまの鎮まる場所を表すシンボルとなっています。と防府天満宮で配布されているパンフレットに書かれています。
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