明治維新後は新政府に仕え大阪造幣寮を創立、ついて民部大輔、大蔵大輔となり廃藩置県を成し遂げる。


井上公園 井上馨候像 山口市湯田温泉


■ 井上馨候
天保6年(1835)11月、萩藩士井上五郎三郎の次男としてこの地で生まれました。
俊才を認められ藩公の小姓役となり、幕末国事多難の折、同志らと共に国事に奔走、大義を唱えました。伊藤博文らと共に英国に留学し、帰国後藩論沸騰の際に当り、市内讃井で反対派の荘士数名に斬り付けられ瀕死の重症を負いましたが、名医所郁太郎の手当によりあやうく一命をとりとめました。やがて藩内で正義派が大勢を占めるようになり四境戦争、鳥羽伏見の役に出陣するなど、明治維新の大業推進に貢献しました。
明治維新後は新政府に仕え大阪造幣寮を創立、ついて民部大輔、大蔵大輔となり廃藩置県を成し遂げました。明治18年内閣制度が成立、はじめての外務大臣となり、その後、農商務、内務、大蔵大臣などを歴任。後、実業界に転じて大いに力を尽くしました。
晩年は元老として政財界に重要な地位を占め、明治40年(1907)功により侯爵となり、大正4年(1915)興津で没しました。と像脇の説明板に書かれています。



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