大正14年政友会総裁に就任、昭和2年に内閣総理大臣となり、外務大臣、拓務大臣をも兼務する


内閣総理大臣 田中義一 銅像


■内閣総理大臣 田中義一
田中義一は、(1864) 6月22日に萩呉服町 (現、萩市呉服町一丁目) で、父藩士田中信祐の3男として生まれました。号は素水、幼名は乙熊。維新後の明治16年 (1883) 陸軍教導体団から士官学校に入り、明治22年 (1899) 陸軍大学校に進みました。
明治27年 (1894) の日清戦争には第一師団副官として出征しました<。後、大尉に昇進し、参謀本部に出仕した後ロシア留学し、軍事、政情を調査しました。
帰国後明治37年 (1904) 日露戦争に従軍し、のち軍部の改造に参画し軍政の中枢部を歴任しました。ついで大正7年 (1918) 原敬内閣の陸軍大臣となり、大正10年 (1921) には大将に昇進しました。
大正12年 (1923) 山本権兵衛内閣に入閣、再び陸軍大臣となりましたが、大正14年 (1925) 高橋是清の後を受けて政友会総裁となり、産業立国、日華の経済連携をスローガンに掲げて時局に臨みましたが、昭和2年 (1927) 総理大臣となり、内閣を組織して、外務大臣、拓務大臣を兼任、普通選挙による最初の総選挙を実施しましたが、昭和4年 (1929) 退陣し、同年9月29日急逝しました。享年65歳。
旧田中邸で配布されているパンフレットから抜粋



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