江戸時代から約260年間、郷土の主な産業として繁栄した三田尻塩田の姿を後世に残すため、鶴浜塩田の跡地を整備して「入浜式塩田」の施設を復元したものです。


鶴浜塩田の跡地を整備して「入浜式塩田」の施設を復元


■ 三田尻塩田記念産業公園
山口県防府市の沿岸では、昔から塩づくりが行われていましたが、特にさかんになったのは入浜式の塩田が築かれた江戸時代からで、長州藩毛利氏は新田の開発を進め、広大な開作(干拓)の地先に塩田を築きました。
明治以降も三田尻の製塩業はますます繁栄し、日本の塩業をリードしてきましたが、時代とともに塩のつくり方やその用途が変化し、昭和34年全面的に廃止れました。
このように、江戸時代から約260年間、郷土の主な産業として繁栄した三田尻塩田の姿を後世に残すため、鶴浜塩田の跡地を整備して「入浜式塩田」の施設を復元したものです。



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