角島大橋たもとの瀬崎陽公園の藻上進之地の碑 古来から海の幸に恵まれた地です。


平城城着海藻上進之地の碑


■平城城着海藻上進之地の碑
1963年秋、奈良市平城京跡の天皇の住居の内裏の東北方の発掘で、一辺四メートル深さ2.3メートルの土墳からたくさんの土器などと共に1843点の木簡を検出した。
その中の1つに長門国角島から都に送られた「わかめ」につけた木札 (縦二七三ミリ、縦三六ミリ、厚さ七ミリ) の送状が含まれていた。それには天平18年 (746) 3月29日と日付が書かれている。これはその当時豊浦郡の郡家 (都の役所) にいた人がそれぞれの荷札を書いたもので、いまから千二百年以上前の聖武天皇以下宮廷の人たちが角島の海士カ瀬戸のかわめがおいしいことを知っていて毎年島に住む人々から税金として差出させていたことがわかる。
1994年 元奈良国立文化財研究所長 坪井清足 と書かれた碑があります。



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