■ 女子道 説明文 神道と女性運動 明治という新時代を迎えても封建時代の因習は変わることなく、特に男尊女卑の風潮は根強く残っていた。二所神社宮司、宮本重胤と妻藤子は神道には本来そのような思想はなく、古代には神に仕える女性の存在したこと等の論拠を示し、神社界では初の全国組織である大日本敬神婦人会を結成した。全国各地、遠くはハワイ、アメリカ本土、朝鮮らも支部が置かれた。そして機関誌として「女子道」を刊行した。(明治36年〜昭和17年の39年間) 女性神官登用運動をはじめとして、女性の権利を擁護する主張を展開し、大正の初め頃から女性参政権にも言及している。女性運動で知られる平塚らいてうの青鞜社よりその運動は早く、また青鞜社とは異なる良妻賢母、男尊女尊を説いていることに特色がある。その運動の資金のためおみくじを製作販売を考え出し、それまで一部の神社にしか用いられていなかったおみくじが全国に普及した。 神前結婚式を一般に広めたことはあまり知られていない。 平成20年2月吉日、周南市観光協会鹿野支部と刻まれています。
|