大村益次郎は、維新後は兵部大輔となり、大いに軍制を改革し、日本の国は日本国民全部で守るべきだとして国軍の建設に尽力した。


大村益次郎墓


■ 大村益次郎墓
国指定史跡 大村益次郎墓 昭和10年12月24日指定 山口市鋳銭司
大村益次郎は鋳銭司の医家に生まれた。長じて洋学医学を学び、後に兵学をもって毛利藩に仕えた。
幕府の長州征伐に際しては、防長の四境にせまる幕軍に対し、身についた洋式兵法をもって、これを破り、倒幕の機を早めた。戊辰の役にも参謀として大功があった。
明治維新後は新政府に仕え、兵部大輔となり、廃刀、断髪をとなえ、また大いに建議して軍政の改革を唱えた。
しかしそれがため旧思想の武士たちの反感に会い、京都に出張中襲撃を受け、その傷のため二か月後の明治2年11月5日、大阪の病院で没した。
遺骸は瀬戸内海を船で郷里に運びこの地に埋葬した。
益次郎と並んで妻琴子の墓がある。
東京靖国神社の社頭にある益次郎の銅像は、益次郎のありし日の英姿である。と書かれた説明板があります。



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