■別府厳島神社・念仏踊 弁天池 昔、この地を別府の庄、堅田の里と言って森林地帯で地名を長林と呼んでいた。この地に一人の長者がいて日夜里人の幸福を祈り、里人から深く尊敬されていた。ある夜、夢枕に白髪の老翁が現れて二枚の鎌を授けていった。 早速里人を集めこの鎌だ長林を切り払った。しかし、この土地を開墾し田畑を作るには水が足らない。長者は里人等と苦心したが水を得ることができず、神祠に祀り見雅を授けられるように祈祷した。その夜白髪の老翁は青竹の杖を持って長者の夢枕にたたれた。「慈悲深い長者よ、あとに続いて来い」と言って歩き出された。長者は後に続きしばらくして老樹の繁るこの地に来た。老翁は青竹の杖を地中深く差立て「あとでこの青竹を抜け」と言って林の中に消えていった。 長者は老翁の言葉のとおり、青竹を引き抜くと杖の元から清水がこんこんと湧き始めた。この水で里人等は田畑を耕作することができ始めた。その湧き水の水口を池としてその傍らに諏訪の神を祀り、安藝の宮島より御祭神’田疑姫命、市杵嶋姫命、多藝津姫命)を勧請し、社を建立、水の守護神としました。これが厳島神社、以来千百余年になります。 この池は常鏡神のように澄み、いかなる早抜にも水が切ることなく、どんな大雨でも増水することなく、常に濁りを知らない清水を保っています。 例祭(9月初旬)には神与の水に感謝し、郷中三軒になるまで止めないと、念仏踊りの奉納を続けてきました。この「別府念仏踊」は昭和43年4月5日に無形文化財として山口県の指定を受け今日に至っておれます。と書かれた説明板があります。
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