■ 一の坂御建場跡(六軒茶屋跡) 「お成り道」(参勤交代や領内巡視用の道)として整備された萩往還は一里ごとに一里塚が設けられ、各所に往還松が植えられていました。 また、藩主一行の通行に伴う各種の施設もつくられました。このうち「御建場」や「お茶屋」は、比較的長時間、休憩する際の施設でした。また、「駕籠建場」は、見晴らしの良い場所で駕籠を降し、殿様一行が短時間休む場所として設けられていました。 往還の中間点でかつて最大の難所であった六軒茶屋には「一の坂御建場」が置かれました。その設計図面(差図)が、山口県文書館に残されています。 この地に部分的に復元してある建物群の配置は、この設計図面を参考にしたもので、江戸時代のある時期の「一の坂御建場」を想定復元したものです。 六軒茶屋という地名はすでに江戸時代中頃にはでてきますが、宮野の八丁峠を越えて萩(通じる新しい道ができたのちも、ここ六軒茶屋では、民家の軒先を茶屋にし、往来する旅人のよい休み場所になっていました。 なお、「一貫石」付近に、「駕籠建場」と呼ばれているところがありますが、ここにも駕籠建場」の施設が置かれていたといわれています。 説明板に書かれています。
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